古墳・飛鳥・奈良時代のジュエリー|日本のジュエリーの歴史シリーズ 第2回
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日本のジュエリー文化が「装飾品」から「社会的・精神的象徴」へと進化したのが、古墳・飛鳥・奈良という三つの時代です。この時代に生まれた装飾品は、王権の象徴であり、宗教の道具であり、外交の道具でもありました。
この記事ではまず、時代ごとのジュエリーの特徴を一覧で概観し、その後に詳しい読み物としての解説をお届けします。
【概要】
各時代のジュエリーの特徴まとめ
古墳時代
勾玉や金属装飾が副葬品として使われ、王権や祖先信仰の象徴に。朝鮮半島からの技術も影響。
飛鳥時代
仏教の伝来により、蓮や光背など宗教的モチーフが登場。宮廷・寺院文化と共に工芸が洗練。
奈良時代
正倉院宝物に代表される国家的装飾文化。螺鈿・宝石・国際的技法が融合。
【本文】
日本ジュエリーの歴史における王権と装飾の始まり ― 古墳時代
3世紀後半から始まった古墳時代。巨大な前方後円墳が築かれ、支配者の権威を象徴する副葬品としてジュエリーが用いられました。
特に勾玉や金属製の耳飾りは、霊的な力を宿す護符としての意味を持ち、古代人の精神文化と結びついていました。朝鮮半島との技術交流により、金属細工も発展し、ジュエリーが社会的階層を示す手段となったのです。
仏教と宮廷文化が融合する ― 飛鳥時代
6世紀半ば、仏教が日本に伝来すると、装飾文化は大きな転換期を迎えます。仏像や仏具の装飾様式がジュエリーにも取り入れられ、宗教的な意味を持つデザインが増加しました。
寺院や宮廷の工房では、金銅細工や象嵌が発展し、芸術性と精神性を兼ね備えたジュエリーが誕生します。装飾は“信仰を身にまとう”という感覚へと昇華し始めたのです。
国家と宗教が融合した芸術の頂点 ― 奈良時代
奈良時代には、仏教と国家が一体化し、ジュエリーは「国家の象徴」となりました。正倉院に残る宝物には、螺鈿、宝石、ガラス、絹など多彩な素材が使われ、当時の美術工芸の粋が集まっています。
それらは王族や貴族の礼装、寺院儀礼、さらには外交の贈答品としても活用され、装飾品が国際的な文化交流のツールとなったのです。
【まとめ】
古墳から奈良時代まで、日本のジュエリーは単なる装飾品ではなく、霊力・権力・信仰・外交を表すメディアとして進化してきました。この3時代の流れは、後の日本独自の美意識と技術の土台となり、現代にも通じる装飾思想を築いたといえます。
【次回予告】
次回の「日本 ジュエリーの歴史」シリーズでは、平安・鎌倉・室町時代に焦点を当てます。
貴族の雅な装飾から、武士の実用美へと移り変わる中で、日本独自の様式がどのように育まれたのかを深掘りします。
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